前編では、らぁ麺大金星の定番メニューや限定ラーメンへのこだわりを聞いた。後編では、山本さんの人生そのものに迫る。機械科からイタリアン、工場勤務を経てラーメンの道へ。23歳で難病を発症し、コロナ禍で物件が白紙に──それでも秩父で店を開くと決めていた男の物語。
01 機械科からイタリアン、そしてラーメンの道へ
ここまで山本さんの話を聞いてきて、修業してきた中でどうだったか、みたいな話も結構あったので。今度は山本さんがこれまでどういう人生を歩んできたのかっていうのを、ちょっと聞きたいなと思ってるんですけど。
はい。
山本さんは秩父市、旧大滝村のご出身で。高校はこっちですか?
秩父農工です。
ああ、秩父農工。食科とか林業科とか、いろんな専門的な学科がある高校ですよね。そちらのご出身。
そうですね。機械科ですけどね。
機械科かい(笑)。
機械科を出て、その後は調理師の専門学校に行ったんですよ。
すごいですね。なんでその流れだったんですか? 機械科を出て、なんで調理師の専門学校に?
やっぱり食べることが好きだったのと。
太ってたんですか?
太ってましたね(笑)。
その理由、いいっすね(笑)。
高校に入る時も、食品化学科に行くか悩んだんですけど、入りやすい方に入って。でもやっぱり、やりたいことはやろうと思って。それで調理師の専門学校に行って、1年で調理師免許を取って、最初はイタリアンに行きました。
イタリアンはどこのお店ですか?
浦和にある、ミゼットっていうお店です。
へえ。でも半年で辞めた、と。
辞めました。
まず、なぜイタリアンだったんですか?
パスタが好きだったからです。
なんか子どもっぽい理由が多くて、いいっすね(笑)。食べるのが好きで、パスタが好きで、そのままキャリア積んでる。
やっぱり好きなことをやるのは、いいかなって。
で、そのイタリアンはどうだったんですか?
半年で20キロくらい痩せました。
やばいっすよ。
大変でしたね。月曜が休みなんですけど、祝日とかが入ると2週間ぶっ通しみたいになって。朝の6時7時くらいから、夜までずっと店にいました。
そりゃ痩せますね……。辞めようと思ったのは、やっぱり大変すぎたから?
それもあります。あと、1個上のバイトの先輩がいて、その人に「山本君、もう辞めた方がいいよ」って言われたのが大きかったですね。
その先輩も、一緒に激務の中頑張ってたんですか?
そうです。もう毎日入ってて。でも突然、「俺は先に辞めるけど、山本君も辞めな」って。それで秩父に帰ってきちゃったんですよ。
秩父に帰ってきて、その後は何をしてたんですか?
工場に勤めました。
そこで機械科が活きる、と。まさかの伏線回収。
そうですね。車の部品の金型を作る工場でした。
なるほど。そこにはどれくらいいたんですか?
20歳くらいから25歳くらいまでですね。でもその時に、このまま工場にいるのは嫌だなと思って。
調理師の免許は持ってるし、飲食なら秩父でもどうにかやっていけるだろうな、って思ってたんです。ただ、最初にイタリアンで結構きつい思いをしたんで、飲食そのものが少し嫌になってた部分もあったんですよ。
そりゃそうですよね。20キロ痩せるくらい働いたら、さすがに嫌になる。
その時はもう、パスタもいいやって思ってました(笑)。
そこからラーメンに行くわけですよね。なんでラーメンだったんですか?
秩父でやりやすいと思ったからです。別に料理なら何でもよかったんです。ホルモンとかも考えましたし。いろいろ考えた中で、何が自分にとってやりやすいかって考えたら、ラーメンなんだろうなって。
なるほど。その時点で、もう「秩父で飲食で生きていく」みたいな感覚はあったんですね。
ありましたね。修業に出るとしても、結局は帰ってきて秩父でやりたいっていうのは、最初からありました。
02 修業で知った、ラーメンの面白さと自分の弱さ
最初のラーメン修業はどこだったんですか?
本庄の常勝軒です。その時、今のゴールデンタイガーの社長が店長だったんですよ。
ああ、熊谷のゴールデンタイガー。TKMで有名な、あの人気店ですよね。
そうです。ラーメン屋になる前から結構通っていて。その社長がすごくお客さんに話しやすくて、接しやすい人で。好きなつけ麺もあったので、「やらせてください」って入ったんです。で、やってみて、ラーメンっていう職業が自分に合ってるなって思ったんですよね。そんなに苦じゃなかった。
どんなところが面白かったんですか?
スープを作ることですね。スープで味が全然変わるじゃないですか。そこが面白かったです。
言い訳ばっかりするな — 山本よしたかの修業時代に言われた言葉 あと、金澤さん(当時の常勝軒の店長、現ゴールデンタイガー店主)にはいろいろ怒られました。2年半いましたけど、そこで腐った自分を直してもらったところもあると思います。
腐ってたんですか?
尖ってたというより、言い訳ばっかりする感じでしたね。
めちゃめちゃ怒られました。裏に呼ばれて、毎回怒られてましたね。「言い訳をするな」って。先輩に言われたことに対して、「でも」とか「なんで」とか、そういうのをすぐ言っちゃってたんですよ。でも、その時は言われないと分からなかったんですよね。
でもそれは、乗り越えられた感じはあるんですか?
ありますね。それを言われなくなった時に、自分の中でも「あ、変わったかな」って思いました。
その後はどうなったんですか?
常勝軒のあと、群馬の系列店に行ったんです。そこで、1人で回す店をやってみないかって話になって。
カウンター6〜8席くらいの小さい店で、ほぼ1人で回してました。経験にはなったんですけど、その時、また病んだんですよ。理由は、売上が立たない怖さです。
でも雇われなんですよね? 雇われなのに、そこまで向き合ってたんですか。
向き合ってましたね。将来自分でやりたいから、やっぱり計算するんですよ。伊勢崎でやってたんですけど、1日3万円くらいの売上で。「伊勢崎でこれなら、秩父に帰ったらどうなるんだろう」って。
03 23歳で難病。それでも秩父に帰ると決めていた
実は、23歳で原因不明の難病になったんです。潰瘍性大腸炎っていう病気で。
大腸に潰瘍ができる病気、ですよね。
そうです。秩父の病院で、「治んないよ」って言われました。薬を飲んでいれば普通に過ごせることも多いんですけど、症状が出る時と出ない時の差がすごくて。自分では、ストレスが強くかかると出るんじゃないかと思ってます。
どんな症状なんですか?
血便と、すごい腹痛ですね。内臓を掴まれるような痛みです。ひどい人だと人工肛門になることもあるみたいですけど、自分はそこまではいってなくて。
最近は、もう全くではないですけど、ほとんど出てないです。今はストレスフリーでやるしかないな、と思ってます。
なるほど、大変だったんですね。
伊勢崎の店を辞める時に病気の症状も出てきちゃって。所沢方面の大学病院に通う必要があったので、通いやすいエリアで次の就職先を探したんです。それで、川越のよしかわさんに入りました。
その2年の修業はどうでした?
一番濃かったかもしれないですね。金澤さんに会ってなかったらラーメンの人生はなかったと思うんですけど、その次に大きいのはよしかわさんかなって。
それまでやってたのは、つけ麺とか、濃いスープのラーメンが中心だったんです。でもよしかわさんは、鶏の清湯スープだったり、魚に特化したラーメンだったり、今までと全然違ったんですよ。
魚もかなり捌かせてもらいました。海鮮丼もあったので、朝行ったらまず魚を一匹まるごと捌くところから始まる。ラーメン屋なのに、魚を捌くところから始まるんですよ。
限定の方向性は常勝軒、定番の軸はよしかわ、みたいな感じですか。
そうですね。限定はどっちかというと常勝軒寄りで、定番の土台はよしかわ寄りっていう感じです。
そこから、いよいよ秩父に帰ってくるわけですね。
高校時代からバイトしてたのもラーメン屋だったんで、結局もう仕事は全部ラーメンなんですよ。
帰ってくるきっかけは何だったんですか?
高校時代にバイトしてたラーメン屋さんが閉めるって聞いて、「やらないか」って話をもらったんです。それで、社長に電話して、「すみません、秩父でできる話が出てきたので辞めさせてください」って言いました。
04 物件が白紙、コロナ──それでも開業した
でも、その話がダメになったんです。そのラーメン屋の2階におじいちゃんとおばあちゃんが住んでいて、「うるさくなるのは嫌だ」ってなって。物件の話がなくなっちゃったんですよ。
うわあ……。やるぞって言って辞めて帰ってきたら、オジャンになってた。
そうです。で、その2〜3か月後にコロナですよ。
2019年の終わりくらいに帰ってきて、年明けから探そうと思ったら、パンデミックみたいになって。「これ、本当にやれるのかな」っていう感じになっていって。
でもその間に、商工会議所に行ったり、先輩に相談したりしながら、お金を借りる準備をして。物件もずっと探してました。
最初から「絶対ここでやろう」と思ってたわけじゃないんです。他の場所も探してたんですけど、なかなかなくて。で、最終的に今の場所になった。
ここ、もともと美容室でしたもんね。
そうです。今あるカウンターも、最初はなくて、本当に何もない壁だけの状態でした。だから初期投資もかかるし、迷いはありました。
でも、コロナの時期だったからこそ、考える時間はあったんですよね。最終的には割り切って、「ここでやろう」って決めました。
そういえば、「大金星」っていう名前の由来も面白いですよね。
まず「大」は大勝軒の"大"。「金」は、最初にラーメンをやるきっかけをくれたゴールデンタイガーの"金"。
でも「大金」だけだと変なんで(笑)。それに、自分が修業してきた店ってどこもすごい店だったから、そういう店たちに勝ちたいっていう気持ちがあって。相撲用語で「大金星をあげる」ってあるじゃないですか。それで大金星にしました。
難病も、修業も、遠回りも。全部この店につながっている — 山本よしたか
05 これからの大金星、そしてその先へ
いろんな店で修業して、難病も抱えながら、それでも続けてきて。その全部の経験と英知が集まって、今の大金星があるってことですね。
そうですね。本当に、オープンできてよかったです。
最後に、山本さんがこれから「らぁ麺大金星」でやりたいこととか、自分の人生でやりたいことを聞きたいんですが、いかがですか?
まずは従業員を雇って、多店舗展開ですね。そんなに何店舗も、ってわけじゃないですけど、1〜2店舗はやりたいなと思ってます。
やっぱり今は、自分のキャパが埋まっちゃってる部分もあるので。ビジネスとして売上を上げていく意味でも、人を扱うという意味でも、次の段階に行きたいですね。
ちなみに、どういう人がいいんですか?
一緒にやりたいと思える人ですね。でも一番最初からずっと言われてきたのは、素直な人がいいってことです。
自分もそうじゃなかった部分があるから、余計に思います。いいも悪いも、「はい」「わかりました」ってちゃんと言える子じゃないと。今はやっぱり、素直さが一番かなって思います。
料理経験は必要ですか?
なくてもいいです。
おお。じゃあ、素直な人、お願いします(笑)。
お願いします(笑)。
2号店、3号店、楽しみですよ。
自分の中では、つけ麺専門店をやりたいんですよね。
ああ、つけ麺専門店。特化して。
もしかしたら、汁なしのつけ麺って言って、パスタ出しちゃうかもしれないですけど(笑)。ボンゴレつけ麺、とか。
ちなみに、今もパスタは好きなんですか?
好きですね。
やっぱり好きなんだ(笑)。
いやあ、でも本当に、人生いろいろありますね。悪いことも経験した方がいいと思いますよね。
ひねくれてた人がここまで来て、今は「必要なのは素直な人です」って言える。それってすごく大きいことだなと思います。
本当にそうですね。
ラーメンも美味しいし、話も面白いし。ブランディングもこれから強化していくということなので、また浅見制作所ともぜひ一緒にやっていけたらと思います。
よろしくお願いします。ありがとうございます。
本日は、らぁ麺大金星の山本さんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。